大学院という組織 〜元組織コンサルが感じた5つの組織的な特徴から〜


こんばんは。讃井です。


大学院が冬休みに入ったのでblogを書きます。
ずっと書こう書こうと思って、書けていなかったネタが溜まってますし(汗)


今回は私が大学院に戻って感じたことについてです。


■はじめに


私は民間の組織コンサルで4年間働いた後、大学院に戻りました。
私にはこの4年間で前職の会社で培った組織文化(価値観・思考パターン・行動形式など)が血肉化されてます。
しかし、現在の大学院の文化はそれとは全く異なります。
ですから、大学院での生活は私にとって発見≒違和感の連続でもあります。


本稿では、私が大学院で得た発見や違和感の中でも「大学院の組織的な特徴」についてまとめました。
私がまだ大学院文化のoutsiderであるうちに。
※注:本稿はあくまで「私の個人的な大学院体験」に基づいたものです。
   一般論として当てはまるかどうかは私にはわかりません。



■大学院で感じた5つの組織的特徴


入学からの8ヶ月間で私が思ったことを端的に言うと、


(主に悪い意味で)
「大学院は組織化されていない組織だ」
ということです。


具体的には以下のような点からそう思いました。


1. とにかく自由度が高い

私の研究室ではメンバー全員が集まる機会は週1コマだけ。
しかも、出席必須ではありません。
単位が揃えば学校に来る必要がなくなるため、学校で滅多に見かけない院生も多数います。
研究テーマや研究方法は研究者本人が自律的に決定し、進めていきます。
私が今まで出会った職業の中では「自営業」「個人事業主」に近い感覚です。


2. 活動の目的が問われにくい

現在の活動の目的を、他者から問われること、または自問することがあまりありません。
基本的に、研究者は研究の目的を自ら設定し、自律的に活動すべきだと思います。
しかし、その自律性の高さは目的を見失うリスクを孕んでるように思います。
顧客、パートナー、自社内の関係部門の厳しい目にさらされながら、
日々の活動を目的に照らし合わせ続ける企業人とは大きく違う部分だと感じています。
また、目的ベースというより興味ベースで始まる研究も多いように思います。


3. チームでの活動が少ない

これは文系の研究室ならではなのかもしれませんが、
チームでの研究よりも個人の研究の方が多いようです。
予算がついた大きいプロジェクトだとチーム研究もあるようです。
しかし、チームとして動くことのインセンティブを感じている院生は少ないように感じます。
個人研究の方が優先度が高くなるからでしょうか。


4. 意図された教育が少ない

これは、思考・行動の「型」が共有されていないという問題に面して感じたことです。
研究の仕方、論文の書き方、フィールド訪問の仕方など、
思考・行動の「型」が意図的な機会によって共有されることがあまりありません。
そのため、例えば論文制作の初期段階にやっておくべきことが抜け落ちたままになっているなど、
「どうしてこんなエラーが起きるのか」と思うことがしばしばありました。
一方、大学・大学院は自ら学ぶべき場所であることも事実です。
どこまで教育をせねばいけないのかは要検討だと思います。


5. キャリアがまるで見えない

旧来的な日本企業のような「先が見えている」キャリアなど全くなく、
次のキャリアに進む基準や時期が非常に曖昧です。
卒業に関する要件はありますが、卒業してもどこかに就職できる訳ではありません。
将来のキャリアが見えないままでは、今何をすべきなのかも明確にならないでしょう。
というか、この状況では単純に気が滅入ります(苦笑)



ちなみに上記をバーナードの組織成立の三要素に照らせば
「共通目的」は不明確または存在せず、
「協働意欲」は個人研究重視のままでは持ちづらく、
「コミュニケーション」はそもそも学校に来ないので少ない。
といった状況になります。


どうりで「大学院は組織化されていない組織だ」と感じるわけです。



■そもそも大学院は組織化されるべきなのか?


ここまで来てのそもそも論ですが、
そもそも大学院は組織化する必要があるのでしょうか?


私自身は
「適度に組織化すべき」
だと思っています。


「大学院は組織ではなく、個人研究者の集まりである。
研究者の自由意思を尊重するべきであり、組織化への注力は必要ない」
という意見もあるでしょう。


しかしながら、大学院を個の集まりと考えた時も、一つの研究機関と考えた時も、
大学院の目的は「研究成果の極大化」となるはずです。
この目的を考慮せず、研究者の自由を優先することは、まさに目的と手段が逆転しています。


上記のような私個人の経験に基づけば、現状の組織は「研究成果を極大化」するには不十分な状態です。
それは、個人の研究成果・大学院全体の研究生成果の両方に関して言えると思います。

ですので、私としては「研究成果の極大化」に向けて、「適度に組織化すべき」だと考えています。
もちろん、組織化はあくまで手段ですので、組織化の方法や度合いを探ることは常々必要になると思います。



■おわりに 〜では、どうしたらよいかまで一応考えておく〜


現状をベースにして考えると、
まずは「個人の研究成果を極大化すること」を目的にして、
効果的な組織化をしてみてはどうかと思います。


個人的には、
◆院生同士の学び合いの増加(個人研究への相互アドバイス会など)
◆論文制作や研究の「型」の共有(修論指導の第一回目に講義など)
◆論文制作スケジュールの共有と進捗確認(Gooleカレンダーベースで)
などあって良いのではないかと思います。


なお、東大の中にも、メンター役がついて密な指導を行っている研究室が多数あるようです。
そういう研究室では上記程度のことは既にやっていることでしょう。


また、長期のキャリアの問題は重要度が高いけれども、大学院生個人では解決しえない問題です。
業界全体としてガイドラインを設けるなどの措置を取ってほしいと思います。
個人的には、出口保障がないまま博士課程進学者を増やすことだけは避けてほしいと思います。
むやみな博士進学は学生の人生を台無しにしかねないですから・・・



■補足(論考に至った発端)


今回このような論考に至ったのは、先学期、勝野准教授の講義で扱った
以下の文献が発端です。参考までに紹介しておきます。


“Researching education from the inside:investigations from within”
Patricia J. Sikes, Anthony Potts
Chapter 10 Researching research cultures The case of new universities

Researching Education from the Inside: Investigations from within

Researching Education from the Inside: Investigations from within


研究に対してスピードや実践との接続が求められている現代において、
action researchという研究方法は必ずその重要度を高めるはずです。
また、研究機関と現場つまりoutsideとinsideの行き来も盛んになることでしょう。
そのような時代における研究の在り方を考える上で、本書は大変参考になるものだと思います。



■追記(10/12/28)


blogのコメント欄に加え、twitterはてブでたくさんのコメントをいただきました。
反響の大きさに驚くとともに、建設的なご意見いただけることを大変有難く思っております。


twitterでいただいたコメントはコチラにまとめさせていただきました。101226「大学院という組織 ~元組織コンサルが感じた5つの組織的な特徴から~」に頂いたコメント - Togetter


皆さんのコメントから頂いた示唆としては、
(1)学問の特徴が組織的特徴に影響する
(2)担当教官の価値観により研究室単位でも組織的特徴が違ってくる
(3)海外の大学院とは特徴が異なるだろう
(4)研究室を超えて一番共通していることは「キャリアがまるで見えない」こと
の大きく4つでした。


「キャリアがまるで見えない」ことに対して大学院生(ポスドク含む)、そして大学や政府はどう対処すべきなのか。
非常に重要な論点だと思います。
私自身は会社勤めの経験もあるため、個人事業主をやりながら長期戦に望む覚悟でいますが、このやり方が正解なのかは当の私にもわかりません。


とは言え、研究者にしても他の職業にしても、キャリアの選択肢の中に絶対的な正解など存在しません。
自分が選んだキャリアを正確にするために、やるべきことをやるのみだと思います。
正解だろうとなかろうと、まずはがむしゃらにやるのみですね。
特に私は。

最初の仕事で学んだこと

こんばんは。讃井です。


相当久しぶりのblog更新です。
って、いつも書き出し同じですね。


今年になって気付いたのは、
「blogは書きたくなったその時に書かないと、その後絶対に書かない」
ということ。


いろいろ手を伸ばし過ぎてることもあり(苦笑)私の場合、
blogが優先順位のNo.1になることは、論理上ありません。


そのため、論理を超越する(あるいは逃避するw)
「なんか書きたくて、たまらんっ!!!」
という衝動が湧いてる時に書かないとダメだということです。



それが今です(笑)




前置きが長くなりましたが、本題へ。


前職のコンサル部門での最初の仕事は、ある紙メディアの制作でした。
簡単に言えば、社内報のような冊子を企画・制作する仕事です。


「コンサルなのに、冊子の企画・制作やるの?」


と思われる方も多いのではないかと思います。
当時の私もそういう気持ちがゼロだったかと言えば、嘘になります。


とは言え、新人の私にとっては大切な仕事。
自分なりの責任感と誇りを持ってその仕事を1年半ほどやっていました。
(他の仕事も兼任しながらですが)


最近ピンで働いていて感じているのは、
その最初の仕事で学んだことがいろんな場面で活きているということ。
思いつくままに羅列すると、


・スケジューリング設計
・外部パートナーを含めた役割分担、人員手配
・目的立脚での商品設計、コンテンツ企画
・伝えるのではなく、伝わる表現方法
・他者視点、全体視点を持った仕事の進め方
・情報収集とそこからの真似び
・コスト削減のための工夫
・アウトプットの質へのこだわり


などなど。


「今の自分があるのは、あの仕事があったから」と強く感じる日々です。
当時の社内外の関係者の方に、改めて感謝します。


また、やや逆説的でもありますが、
「どんな仕事であっても一生懸命やれば、ビジネスパーソンとしてのスキルは強化できる」
ということなのだと思います。



「どんな仕事がいいとか選り好みする前に、まずは一生懸命やってみたら」


新入社員時代に会社の上司から言われた言葉です。
完全にその通りだったなぁと思うと同時に、当時の私の態度を申し訳なく思う次第です・・・

東大大学院の入学式に参加してきた


大変ごぶさたのblog更新です。
2月にLM社を退職し、4月から東大の院生になりました。
これを機に発信を増やしていければと思い、再開しました。


さて、1週間前の4月12日に東京大学大学院の入学式に参加してきました。
東大入学式の祝辞は、「東大が社会とどう関わろうとしているのか」を確認できる場なので、どんな話があるか大変楽しみに参加しました。
(学部の入学式に参加してからもう8年経つとは・・・)


今回は入学式に参加した「学生」の立場から、総長・副総長・来賓の祝辞について考えをまとめました。
あくまで一個人の見解・解釈ですので一定のバイアスあるかとは思います。その点はご容赦を。



■濱田総長の祝辞

(本文)→ http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/b_message22_02_j.html


濱田総長からの祝辞はやや前段が長い印象もありましたが(偉そうにすいません・・・)、研究者としての心構えを示唆してくださるメッセージ性の高い内容でした。


メインメッセージは、
「学問をする者は『知的廉直』であれ」ということ。


※知的廉直とは・・・
知に対して廉直である姿勢のこと。濱田総長曰く「廉直とは、廉潔で正直なこと、要するに、心が清らかで私欲がないことを意味しています」とのこと。もともとはマックス・ヴェーバーが『職業としての学問』の中で説いた言葉。当時のドイツは第一次世界大戦での敗戦後。学問の価値が問われる中、「預言者や扇動者は教壇に立つべきではない」という考えのもと「学問を生業とするものは『知的廉直』であれ」と説いたもの。


これは今という時代へのアンチテーゼとして発された言葉だと解釈しました。
濱田総長の言われるように、現在は「学問が社会とダイレクトにかかわろうとする場面スピードや効率が重視される時代」。
そういう時には安易に成果追究に走ってしまいがちです。
だからこそ、学問をする者は改めて『知的廉直』の姿勢を強く意識し、本質的な価値を追究せよというこということです。


また、メインメッセージと同時に以下の部分が私には印象的でした。


『知識は我々のもっとも重要な仕事(business)である。
我々のその他の仕事のほとんどすべてが知識に依存しているが、その価値は経済的なものだけではない。
知識を追求し、生産し、広く伝え、応用し、そして保存していくことは、文明(civilization)の中心的な活動である。
知識は社会の記憶であり、過去への接続である。そして、それは社会の希望であり、未来への投資である。』


ハーバード大学のLouis Menand教授の著作を引用して、知識と社会との関係について述べられた部分です。
研究者の成果は短いスパンでは出ないため、不安も多くあるはずです。
そんな研究者の卵たちに、仕事の「誇り」をリマインドしてくれた言葉です。

全体を振り返ると、
「学問をする者は、焦らず『知的廉直』を貫きなさい。
そうすれば文明の過去と未来をつなぐ素晴らしい仕事ができるから。」

と激励をいただいたものと捉えています。
これから研究者を目指す私には、胸が熱くなる内容でした。


◆参考図書
マックス・ウェーバー(著)、尾高 邦雄(訳)『職業としての学問』 http://bit.ly/cq3OLz
・Louis Menand 『The Marketplace of Ideas: Reform and Reaction in the American University 』 http://bit.ly/aieZsv



■小島副学長からの祝辞

小島副学長からのお話は
「学生だからといって甘えるな」ということがメインメッセージだと受け取りました。

具体的には、
「大学院生も使命ある社会人である」
「私たち(先達者)と皆さんは、新しい問題にアプローチする開拓者としては、同じ線上にいる」
「研究の成果として、新しい学問を創るという気概を持ってほしい」

といった言葉があったと記憶しています。

後にも少し書きますが、就職した新社会人と比べると院生は「甘え」が目立っているように思いました。
そんな私たち学生に対して、研究の第一線に立つものとしての気概を伝えてくださる内容でした。


また、江戸時代の儒学者佐藤一斎の「言志四録」にある言葉を引用し、

「少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず。」

というお話もありました。総長の話とも重なりますが、
すぐに結果が出るとは限らない研究者だからこそ、
「学は一生の大事」と捉え、学び続けなさいということでしょう。


世界・文明・一生という視野で物事を見ていることが
民間企業から来た私には何とも新鮮でした。
(良い悪いの判断は別にして)


◆参考図書
佐藤 一斎(著)、岬 龍一郎(訳)[現代語抄訳]言志四録 http://bit.ly/bfBk47



■来賓の小林先生からの祝辞

さて、今回web上で一番話題になった祝辞がこちら。
(本文)→ http://hp.hisashikobayashi.com/
小林久志 プリンストン大学大学シャーマン・フェアチャイルド名誉教授の祝辞です。


おそらく学生皆が耳を疑ったのが、
修士課程終了後は博士課程を米国の一流大学で目指すことを私は強くお勧めします」
「(博士課程に入学される)皆さんには、東大で博士号を取得された直後に、
ポスト・ドクとしての研究生活を米国の大学でされる事を真剣に考えて欲しいと思います」

という箇所。会場の「ざわっ・・・」というどよめきに、寝ていた学生の多くも起きたようでした。


小林先生の言葉を整理すると、以下のようになるかと思います。


日本がアジア諸国に追いつかれているのは、我が国のリーダーの力量不足によるものだ。

真のグローバルリーダーになれる人材がいないと日本の行末は危うい。

しかし、日本の大学は海外の研究者に排他的なこともあり、グローバルリーダーが育つ環境ではない。
(アイヴァン ホール著『知の鎖国』か書かれた90年代後半から状況は変わっていない)

一方で、米国などには東大以上に研究・育成体制が充実している大学がたくさんある。

このまま日本にいるだけでは「大海を知らぬ蛙」になってしまう。

志を高く持ち、海外で学び、真のグローバルリーダーを目指せ。


小林先生の言葉は東大の諸先生方には耳の痛い言葉であったと思います。
けれども、心から東大、そして日本の行末を憂慮するが故の言葉だと思います。


我々学生が表層的に「面白いことを言う先生がいるな・・・」と思って終わることは、小林先生の期待を裏切ることになる。
なぜなら、先生の言葉は「グローバルリーダーになりうる人材がこの中にいる」と思ってくれているからこその言葉だからだ。
「正直、修士までの時点で海外に大きく遅れを取っているのが実情だが、今からであれば追いつくことができる。」これが現実ではないだろうか。


そんな危機感を持ちつつ、高い志に向けてがむしゃらになることが、
私たちの果たすべき社会的責任なのではないかと思います。


◆参考図書
アイヴァン ホール(著)、鈴木 主税(訳)『知の鎖国―外国人を排除する日本の知識人産業』 http://bit.ly/bhke4u



■余談

(1)会場のオペレーション
会場への誘導は非常にスムーズでした。
椅子の配置も非常に美しく、スタッフの皆さんのご苦労に感謝。
また、応援団の皆さんの本気過ぎる応援はすごかった・・・



(2)入学生(新M1・D1)の雰囲気
個人差があることが前提ですが、3割〜4割の人は居眠りしてたような・・・。
(中には漫画読んでた学生もいたとか)
また「研究時間削ってわざわざ来てやってるんだから、もっと面白い話をしろよ」
という意見もちらほろあったようですが、
★「教授陣の方が忙しいのに、そんな中わざわざ来てくれてることを忘れるなよ」
★「話し方の問題は多少あれど、面白くない話ではなかった。もっと自責になれよ」

というのがやや年老いた新入生の気持ちでした(笑)


長くなりましたが、以上です!

G and PDCA


おつかれさまです。


今週もあっという間の一週間でした。


最近私は営業がメインミッションなのですが、
営業の仕事の中でもPDCAサイクルを当然ながら意識します。


その中で思ったのは、


PDCAサイクルを回すことそのものに意識をとらわれると、
もともとのゴールを忘れてしまい、手段のPDCAに終始してしまう。
そのため、PDCAサイクルのP(計画)の前には、別途ゴール設定が必要だ。


ということ。



たとえば、


ゴール:営業目標達成
手段 :テレアポ


とあった時に、
テレアポについてPDCAを回すことに意識が行きがちですが、
テレアポという「手段」にこだわらずに、もとの「ゴール」まで立ち返り、
「手段」自体を見直すことも必要だということです。


(ひいて見れば当たり前の話ではありますが)



現在のように環境変化が激しい時期には、
「G(Goal Setting) and PDCAという意識を持たないと、
目の前のPDCAサイクルはすぐに陳腐化してしまうかもしれませんね。。。

不況時の組織に必要なこと


3月の営業日が終わりました。
1〜3月はほんとあっという間でした。そう感じるのは歳をとったからでしょうか・・・


さて、最近株価はまた上がってきてますが、不況自体は2010年秋まで続く説が有力のようです。
米国住宅価格の先物の底値が2010年の秋頃であることがその論拠です。
ですが、住宅価格が上昇の兆しを見せても、以前のように米国の消費が活性化するのか。そして、日本国内の消費はすぐに活性化するのか・・・。もっと長引く可能性もありそうですね。


ともあれ、自分の仕事にひもづけて考えると、教育採用費は2010年度分予算まで厳しい状態が続くように思います。なぜなら、2010年度分予算は2010年3月までに確定しますが、その時点ではまだ予断を許さない経済状況だと思うからです。
(もちろん景気の回復状況次第ではその限りではないですが)



関連するニュースもちらほら。

来春新卒採用、44社「減らす」 主要100社調査
http://www.asahi.com/national/update/0328/TKY200903280241.html?ref=rss

さて、そんな不況時の組織に必要なことは何か。
今日の全社総会でうちの社長からそんな話がありました。


要はで言うと、

  • 現状を直視し、適切な目標設定を行うこと
  • 過去慣性を捨て、環境に合わせてスピーディーに変化すること
  • 厳しい状況でも前向きに行動し続ける組織風土を醸成すること
  • 社員一人ひとりが会社の現状に対して当事者意識を持つこと

といった内容でした。


当たり前に思うことかもしれませんが、上記の徹底的な実現は以外と難しい。


「当たり前のことを当たり前にやるのはなかなか難しい」


そのことを肝に銘じ、しっかりと思考・行動し続けないといかんなと、
自分を省みて思うわけです・・・。

不況を勝ち抜く一品モノ


最近営業に行く機会が増えてきました。

コンサルとしてお客様の前で話せることが増えてきたことは嬉しい限りです。
コンサルの営業は他社ではマネジャークラスが行うことが多いと思いますが、
ベンチャー企業ならではの成長機会の多さをようやく享受できている感じです。
それがベンチャーの魅力であると同時に危うさでもある、とならないよう益々の精進が必要な訳ですが・・・


さて、現在の市況の中で特に厳しい人材広告の業界。
その中で、とてもユニークな広告が話題になっています。


リクナビNEXT 株式会社加藤電機製作所

「原君、どこ行ってもうたんや・・・」

https://rikunabi-next.yahoo.co.jp/rnc/docs/cp_s01800.jsp?fr=cp_s00900&rqmt_id=0006504823

人材募集と言えば同じような広告が多い中で、
こんなにエッジが立っている広告はなかなか珍しいんじゃないでしょうか。


で、今回重要だと思ったのは、「珍しさ」ではなく、その「オンリーワン性」。
「あなたのためだけに作った一品モノです」という仕事であるからこそ、
社員数13名の会社さんが高額なリクナビ広告を発注したのでしょう。


一歩踏み出すだけで、サービスの質は全く変わってくる。
身につまされる思いです。


不況の時代だからこそ、お客様の目は厳しくなるはずです。
だから、その目に応えられる「一品モノ」のサービスを提供できるよう、
より一層、想いと思考を込めなければいけないということ。


そう考えれば、私は成長できる時代に働けているということなのでしょうね。

いかに生きるか


こんばんは。讃井です。


昨年はブログをもっと書こうと言っていましたが、結局あまり書けず・・・
出直しです。今年もよろしくお願いいたします。



新年早々ですが、突然の訃報が届きました。
中高時代の友人が亡くなったという知らせです。
あまりに突然のことで言葉がありませんでした。


めちゃくちゃ親しかった仲ではありませんでしたが、
帰りが一緒になることもしばしばあり、今もはっきりと顔が浮かびます。
もう会えないかと思うと、なんとも言えない寂しさだけが残ります。。。


これまでありがとう。
ご冥福をお祈りします。




私の近況についても軽くご報告を。
昨年も様々な案件に関わりましたが、
プロジェクトマネジャーとして関わったキャリア研修の開発が一番印象に残っています。


キャリア理論の中でも、私が昨年参考にしたのは
スタンフォード大学のクランボルツ教授の「Planned Happenstance」という理論。

この理論では、キャリアを創っていくには、
「キャリアのゴールを描くこと」ではなく、
「偶発的な出来事を意図的に活用し、キャリア創造のチャンスとする」こと
が大切だとされています。


クランボルツ先生の理論については、まだまだ理解不十分ではありますが、
この理論でボトルネックとなるのは、

「偶然をいかにして自分のキャリアに活かせるか」

という点です。


参考までに、クランボルツ先生は偶然を活かすスキルとして以下の5点を挙げています。
(1)好奇心
(2)持続性
(3)柔軟性
(4)楽観性
(5)冒険心


ただ、大切なのはスキルではなく、
「自分の感性(計画や戦略ではなく、価値観や志向性)でキャリアを創る」
のだという大前提の考え方だと思っています。


キャリアというと計画や戦略をいかに立てるかという話になりがちですが、
「そもそも自分はどうありたいのか」
という点をまずは明確に持って大切にしようよ、というシンプルな話です。



いろいろ書きましたが、キャリアの考え方と接し、
そして、友人の訃報を聞き、今改めて自分に問うのは、


「いかに生きるか」


ということ。


大学時代とは少し問いの立て方が変わったように思います。


ほんとにようやくですが、
「生きることへの責任」を持てるようになったみたいです。




P.S.

昨年すごいなーと思った高校生のバンドです。
自分も高校時代オリジナルやってましたが、
こういう疾走感あるやつをもっとやりたかったな〜