東大大学院の入学式に参加してきた


大変ごぶさたのblog更新です。
2月にLM社を退職し、4月から東大の院生になりました。
これを機に発信を増やしていければと思い、再開しました。


さて、1週間前の4月12日に東京大学大学院の入学式に参加してきました。
東大入学式の祝辞は、「東大が社会とどう関わろうとしているのか」を確認できる場なので、どんな話があるか大変楽しみに参加しました。
(学部の入学式に参加してからもう8年経つとは・・・)


今回は入学式に参加した「学生」の立場から、総長・副総長・来賓の祝辞について考えをまとめました。
あくまで一個人の見解・解釈ですので一定のバイアスあるかとは思います。その点はご容赦を。



■濱田総長の祝辞

(本文)→ http://www.u-tokyo.ac.jp/gen01/b_message22_02_j.html


濱田総長からの祝辞はやや前段が長い印象もありましたが(偉そうにすいません・・・)、研究者としての心構えを示唆してくださるメッセージ性の高い内容でした。


メインメッセージは、
「学問をする者は『知的廉直』であれ」ということ。


※知的廉直とは・・・
知に対して廉直である姿勢のこと。濱田総長曰く「廉直とは、廉潔で正直なこと、要するに、心が清らかで私欲がないことを意味しています」とのこと。もともとはマックス・ヴェーバーが『職業としての学問』の中で説いた言葉。当時のドイツは第一次世界大戦での敗戦後。学問の価値が問われる中、「預言者や扇動者は教壇に立つべきではない」という考えのもと「学問を生業とするものは『知的廉直』であれ」と説いたもの。


これは今という時代へのアンチテーゼとして発された言葉だと解釈しました。
濱田総長の言われるように、現在は「学問が社会とダイレクトにかかわろうとする場面スピードや効率が重視される時代」。
そういう時には安易に成果追究に走ってしまいがちです。
だからこそ、学問をする者は改めて『知的廉直』の姿勢を強く意識し、本質的な価値を追究せよというこということです。


また、メインメッセージと同時に以下の部分が私には印象的でした。


『知識は我々のもっとも重要な仕事(business)である。
我々のその他の仕事のほとんどすべてが知識に依存しているが、その価値は経済的なものだけではない。
知識を追求し、生産し、広く伝え、応用し、そして保存していくことは、文明(civilization)の中心的な活動である。
知識は社会の記憶であり、過去への接続である。そして、それは社会の希望であり、未来への投資である。』


ハーバード大学のLouis Menand教授の著作を引用して、知識と社会との関係について述べられた部分です。
研究者の成果は短いスパンでは出ないため、不安も多くあるはずです。
そんな研究者の卵たちに、仕事の「誇り」をリマインドしてくれた言葉です。

全体を振り返ると、
「学問をする者は、焦らず『知的廉直』を貫きなさい。
そうすれば文明の過去と未来をつなぐ素晴らしい仕事ができるから。」

と激励をいただいたものと捉えています。
これから研究者を目指す私には、胸が熱くなる内容でした。


◆参考図書
マックス・ウェーバー(著)、尾高 邦雄(訳)『職業としての学問』 http://bit.ly/cq3OLz
・Louis Menand 『The Marketplace of Ideas: Reform and Reaction in the American University 』 http://bit.ly/aieZsv



■小島副学長からの祝辞

小島副学長からのお話は
「学生だからといって甘えるな」ということがメインメッセージだと受け取りました。

具体的には、
「大学院生も使命ある社会人である」
「私たち(先達者)と皆さんは、新しい問題にアプローチする開拓者としては、同じ線上にいる」
「研究の成果として、新しい学問を創るという気概を持ってほしい」

といった言葉があったと記憶しています。

後にも少し書きますが、就職した新社会人と比べると院生は「甘え」が目立っているように思いました。
そんな私たち学生に対して、研究の第一線に立つものとしての気概を伝えてくださる内容でした。


また、江戸時代の儒学者佐藤一斎の「言志四録」にある言葉を引用し、

「少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず。」

というお話もありました。総長の話とも重なりますが、
すぐに結果が出るとは限らない研究者だからこそ、
「学は一生の大事」と捉え、学び続けなさいということでしょう。


世界・文明・一生という視野で物事を見ていることが
民間企業から来た私には何とも新鮮でした。
(良い悪いの判断は別にして)


◆参考図書
佐藤 一斎(著)、岬 龍一郎(訳)[現代語抄訳]言志四録 http://bit.ly/bfBk47



■来賓の小林先生からの祝辞

さて、今回web上で一番話題になった祝辞がこちら。
(本文)→ http://hp.hisashikobayashi.com/
小林久志 プリンストン大学大学シャーマン・フェアチャイルド名誉教授の祝辞です。


おそらく学生皆が耳を疑ったのが、
修士課程終了後は博士課程を米国の一流大学で目指すことを私は強くお勧めします」
「(博士課程に入学される)皆さんには、東大で博士号を取得された直後に、
ポスト・ドクとしての研究生活を米国の大学でされる事を真剣に考えて欲しいと思います」

という箇所。会場の「ざわっ・・・」というどよめきに、寝ていた学生の多くも起きたようでした。


小林先生の言葉を整理すると、以下のようになるかと思います。


日本がアジア諸国に追いつかれているのは、我が国のリーダーの力量不足によるものだ。

真のグローバルリーダーになれる人材がいないと日本の行末は危うい。

しかし、日本の大学は海外の研究者に排他的なこともあり、グローバルリーダーが育つ環境ではない。
(アイヴァン ホール著『知の鎖国』か書かれた90年代後半から状況は変わっていない)

一方で、米国などには東大以上に研究・育成体制が充実している大学がたくさんある。

このまま日本にいるだけでは「大海を知らぬ蛙」になってしまう。

志を高く持ち、海外で学び、真のグローバルリーダーを目指せ。


小林先生の言葉は東大の諸先生方には耳の痛い言葉であったと思います。
けれども、心から東大、そして日本の行末を憂慮するが故の言葉だと思います。


我々学生が表層的に「面白いことを言う先生がいるな・・・」と思って終わることは、小林先生の期待を裏切ることになる。
なぜなら、先生の言葉は「グローバルリーダーになりうる人材がこの中にいる」と思ってくれているからこその言葉だからだ。
「正直、修士までの時点で海外に大きく遅れを取っているのが実情だが、今からであれば追いつくことができる。」これが現実ではないだろうか。


そんな危機感を持ちつつ、高い志に向けてがむしゃらになることが、
私たちの果たすべき社会的責任なのではないかと思います。


◆参考図書
アイヴァン ホール(著)、鈴木 主税(訳)『知の鎖国―外国人を排除する日本の知識人産業』 http://bit.ly/bhke4u



■余談

(1)会場のオペレーション
会場への誘導は非常にスムーズでした。
椅子の配置も非常に美しく、スタッフの皆さんのご苦労に感謝。
また、応援団の皆さんの本気過ぎる応援はすごかった・・・



(2)入学生(新M1・D1)の雰囲気
個人差があることが前提ですが、3割〜4割の人は居眠りしてたような・・・。
(中には漫画読んでた学生もいたとか)
また「研究時間削ってわざわざ来てやってるんだから、もっと面白い話をしろよ」
という意見もちらほろあったようですが、
★「教授陣の方が忙しいのに、そんな中わざわざ来てくれてることを忘れるなよ」
★「話し方の問題は多少あれど、面白くない話ではなかった。もっと自責になれよ」

というのがやや年老いた新入生の気持ちでした(笑)


長くなりましたが、以上です!